
気がつけば8月も半ばに差し掛かり、世の社会人にとって貴重なお盆休みは駆けるようにして過ぎ去った。束の間の安息を堪能した僕は、仕事に忙殺される日々に再び放り出され、ギーギーと軋みながらも、社会の歯車として今日も精一杯回転している。
そんな僕は今夏、地元の秋田へ戻って短い夏休みを満喫してきた。今回はそんな夏休みの思い出を切り取って、つらつらと書き連ねていこうと思う。
08月05日(金)JAL167 東京(羽田)18:55発 秋田行き

8月5日の午後6時22分。僕は羽田空港第1ターミナルに到着した。時差出勤をしていたので、本当は午後6時前に空港へ着いている予定だったのだが、キリのいいところで業務が終わらなかったため到着が遅れてしまった。これはちょっとした誤算だった。
急ぎ足で飛び乗った羽田空港行きの急行電車にはそこそこの数の人が乗車しており、誰もがみな一様に大きめのスーツケースを脇に携えていた。きっと僕と同じように少し早めのお盆休みを取得した人たちなんだろうな。
旅かはたまた帰省かはわかりかねるが、これから訪れるであろう楽しみに心が高揚し、こころなしかみんなの顔がほころんでいるようにも見える。他人から見た僕の表情も多分同じ感じなのかもしれない。だって普段から「いつも楽しそうに笑っているね」と人に言われるからさ。実際実家に帰るのめっちゃ楽しみだし、笑いはおさえらんないよ。
おもむろにスマホを取り出し、ラインを開く。妹から
「着いた?」
の一言が届いていた。妹は一足先に空港へ到着し、ラウンジで優雅なひと時を過ごしているみたい。
「着いた、今から行くわ」
と素早く返信し、足早にラウンジへと向かう。空港は独特の雰囲気をまとっている、とここを訪れるたびにいつも感じる。これからどこかへ向かう人、どこかからここへ帰ってきた人たちの期待・不安、安堵・寂しさが入り混じった何とも形容しがたい不思議な感情が漂っている気がするんだ。僕が今抱いているワクワクドキドキも、それらに包まれて空港の一部と化す。
ラウンジの看板はそれほど目立たない地味なものであったため、辿り着くまでに少々の時間を要した。結局最後は妹に入口まで出てもらって、やっと場所を突き止めた。半年ぶりに会う妹は何も変わっていない様子。変わったのは仕事くらいか。そもそも、妹と合流して一緒に帰省するのには訳があった。翌日に従姉妹の結婚式が控えているのだ。僕らは親族として両親と兄弟で参加することになっている。
人生初のラウンジは、アイスコーヒー1杯のみで終了。ラウンジに着いた頃には搭乗開始まであと5分と間近に迫っていたんだ。僕はアイスコーヒーを一息にあおると、そそくさとラウンジを後にした。できれば少し副業のほうの仕事を進めたかったんだけど、残念無念。
乗り込んだ秋田行きの便は空いており、座席は半分も埋まっていない。まあ、昨今のコロナ情勢もあるし、まだお盆には早いし、当たり前といえば当たり前か。お陰で窮屈さを感じずのびのびとフライトを楽しめそうだ。
薄暗くなりつつある空へ向かって飛行機は飛び立ち、地面がどんどん離れていく。あちこちに屹立する、THE東京といった感じの立派な建物は徐々に小さくなり、最後にはミニチュアのおもちゃみたいになって少し笑った。
視線を空へ移すと、そこには夕刻の景色が広がっている。青とオレンジのグラデーションが神秘的な夕間暮れが静かに横たわる。なかなか拝めない場所からの眺望にはっと息を呑んだ。そのまましばらく瞬きも忘れ、時間と共に徐々に移り行く眼前の光景を眺め続けた。やがて空からは色がなくなり、飛行機は夜の中へと深く深くダイブしていった。
途中トラブルも何も起こらず、定刻通り午後8時に秋田空港へと飛行機は降り立つ。空港へ続く搭乗橋を渡り、空港の出入り口へと向かった。出入り口周辺は、家族の帰りを待っているらしき人々がまばらに立っており、その隅のほうで牛乳瓶の底ほどの厚さがありそうな眼鏡をずり下げながらスマホを眺める小柄な男性が目についた。父親だ。
「よっ!ただいま!」
スーパーボールみたいに弾むような軽快な声を投げかけると、父親は顔を上げてこちらを見やる。僕の挨拶に対して返答は一切ない。それもそうだ。父親は耳が遠いので、何か音が聞こえたな、くらいの認識でこちらを向いただけに決まっている。補聴器をせっかく持っているんだからつければいいのに。
「家さはえぐ帰るべ。おかあさんが待ってる」
訛り全開の父親の秋田弁を聞き、「ああ、秋田に帰ってきたんだな」という実感がふつふつと湧いてくる。僕と妹は父親と並び、3人で歩き出す。外に出た瞬間、まるで待ち構えていたように夜気が体を包み込んできた。8月の半ばだというのに少し肌寒く感じるくらい。関西・関東・甲信越・東北・・・今までいろいろな県に住んできたけれど、同じ日本でも驚くほど気候が違う。まるで気候が全然違う国に遊びに来たような錯覚に囚われる。
やっぱり、秋田の夏は東京都比べて桁違いに涼しい。実家は限界集落、夜は裏山からの冷気が大量に流れ込んでくるので、ここよりもさらに数段涼しいんだ。そういえば、実家にエアコンなんてついていないもんな。
寝転んで、ミルキーウェイ

実家は山の麓にあり、民家は数えるほどしかなく、道々に点在している。それに住んでいる人のほとんどが老輩だ。集落全体の平均年齢を出したとしたら、軽く80歳は超えるんじゃなかろうか。でも誰もがみんな矍鑠(かくしゃく)としている。夏は草刈りや農作業、冬は雪寄せと、毎日せっせと体を動かしているので丈夫なんだろうな。僕が将来おじいさんになったときはアクティブに過ごしたいから筋トレ頑張ろっと。
街路灯は、申し訳程度に細い道路の途中にぽつりぽつりと佇んでいる程度。日が暮れると集落はほとんど夜に呑み込まれてしまうといっても過言じゃない。だから、天体観測には絶好の環境だ。都会では絶対に見ることのできない美景がひとり占めだ。
庭先にブルーシートを敷き、仰向けに寝転んで夜空を眺める。星空が広すぎて視界に収まりきらないや。帰省のたびにこうやって星を眺めるのが恒例になっているが、都会にいると忘れがちな空の広さを再認識させられる。
星の等級って明るい順に-4~13等星くらいまであるらしいんだけど、肉眼で確認できるのはせいぜい6等星まで。国立科学博物館のHPによると、1等星以上が21個、2等星が67個、3等星が190個。これらを全部足し合わせてもたったの278個、これだと都心だと星が見られないのも納得だ。ここだと夜空を妨げる明かりが何一つないので、6等星までくっきりはっきり。こりゃあもう、星をウリにしているキャンプ場なんかに匹敵するんじゃないかな、なんて思ったり。
こんな感じで帰省初日の夜は、肌を優しく撫でていく夜気で涼みながら、絶えず明滅を繰り返す星屑を飽きもせずただただ無心で眺め続けた。気まぐれに時折現れる流れ星に願い事をしようと何度が挑戦したが、結局出来ずじまい。願い事を3回唱えるのは無理ゲーなので、1回で勘弁してください。
門出のとき

帰省翌日は待ちに待った従姉妹の結婚式。従姉妹とはお互いが物心がつかない頃から、お盆や年末年始に会っては遊んでいた仲だ。そんな従姉妹は10年以上付き合ってきた高校生時代からの彼氏と、この度晴れて結ばれた。
従姉妹と新郎の馴れ初めは結構ドラマチック。高校生の頃、従姉妹は電車通学をしていたらしく、新郎と初めて出会った日もいつも通り電車に乗っていた。寒波のためか、外はひどく吹雪いていたそう。車窓越しの景色を所在なくぼんやりと眺めていると、いきなり同じ車両内にいた男子高校生が話しかけてきたらしい。まあ、要はナンパだけど、本気のナンパだった。男子高校生はとても緊張した面持ちだったそう。
普通だったら、にべもなく断ってしまいそうなものだが、何故だか従姉妹は断らずに快く連絡先を交換したそうだ。驚くべきはその後。なんと4日後に正式に付き合うことが決まった。初めてこの馴れ初めを聞いたとき僕は、ええじゃないかもびっくりの急転直下ぶりに絶句した。それから10数年……。紆余曲折を経ながらも交際を続け、無事ゴールインを果たした。ほんまこういう出会い羨ましいなあ、憧れる。
ここ数年はコロナでまったく会えておらず、久々に会った従姉妹の姿はウエディングドレス。元々目がぱっちりした秋田美人だが、美しさがさらに際立っており、思わずしばし見惚れてしまった。式場内の照明もあいまって、後光が差しているようだったな。
従姉妹は緊張のためか顔が強張っており、僕ら親族に対してぎこちない笑みを向ける。今日という日は他でもなく新婦が主役。参列した友人や親族からの視線を一身に浴びることになるのだ。そりゃ緊張するだろうな。
おめでとう、なっちゃん。幸せにな。
童心にかえる
雑魚釣り

結婚式翌日。珍しく早起きした僕は、徒歩5分ほどの場所にある川を訪れた。ここには主にアブラハヤとカジカ、ヤツメウナギが生息しており、小学生の頃は兄弟とここに来ては釣りを楽しんでいた。昔は渓流の女王と呼ばれるヤマメも住んでおり、弟が釣りあげたことがある。この場所は僕が釣りをライフワークにするきっかけになった原点とも言える場所だ。
相変わらずアブラハヤの魚影は濃い。アブラハヤは食い気が凄いので、早くも入れ食いの気配がぷんぷんしてきた。仕掛けを竿にセットし、針先に餌を刺す。餌は当時から変わらないご飯粒だ。ご飯粒で笑っちゃうくらい釣れるんだよね。
早速仕掛けを投げ入れると、即座にウキが水中へと潜り込んでいく。竿をあおってすぐさまアワセると、良型のアブラハヤが水中から姿を現した。タナゴ用の竿を使っているから、ぐいぐい引いて癖になりそうだ。


竿先からブルブルとした小気味良い振動が伝わってくる。そうそうこれこれ、これが釣りの醍醐味ってやつ。この引きが病み付きになっちゃうんだよね。釣り上げたアブラハヤをバケツに投入し、針先に新たなご飯粒を刺して再び釣り開始。するとまた、間髪を入れずにウキが沈む。うーん、今度もいいサイズだ。やっぱりあの頃と一緒で、アブラハヤは今日も入れ食いだ。
それから2時間ほど釣り続け、結局50匹以上釣りあげた。以前は釣れたヤツメウナギやカジカは残念ながら一匹も釣れなかった。彼らとの再会は来夏までのおあずけということで、楽しみにとっておこう。

ちなみに、実績がある別のポイントでも釣りをしてみたんだけど、数年前の大洪水のせいか地形が変わっていて、まったく釣れなくなっていたよ。入れ食いだったポイントもかなり地形が変わってたし、時の流れを痛感するなあ。
ガサガサ

雑魚釣り後の数日間は天候に恵まれず、断続的に雨が降り続いた。それもしとしとと降るような可愛いもんじゃなくて、ザーザー降りのゴロゴロ降り。線状降水帯がちょうど僕らの地域の上空を通過していたようで、それはもう尋常じゃないくらい降った。山の川は幅が狭いのですぐに写真のような有様に。最初に雑魚釣りしておいてよかったー!って心底思ったよ。全国ニュースで僕らの地域が報道されていたらしくて、友人から安否確認の連絡がきた。
川がこんな状態だったから釣りなんて到底できないので、釣りと同じく昔よくやっていた「ガサガサ」をしようと思い立った。ガサガサとはザルや網などで用水路をすくい、ドジョウやイモリ、カエルなどを捕まえるシンプルな遊びだ。ガサガサは毎回いろいろな生き物との出会いがあって飽きることがない。15年以上のブランクを経て、老骨に鞭打って久しぶりに挑戦してみた。

左手に網、右手にバケツ、両足に長靴。ガサガサに必要な三種の神器を身に着け、鈍色の空の下、意気揚々と大股で歩きだす。用水路は田んぼの脇に沿ってどこまでも続いているので、好きなポイントでガサガサをするのみだ。



とにかく無心でガサガサ、ひたすらガサガサ……。さてさて、何が捕れたかな??期待に胸を躍らせながら持ち上げた網の中を覗く。

そこには網から飛び出さんばかりの勢いで動き回るドジョウの赤ちゃんたちが数匹入っていた。久方ぶりのドジョウとの再会に感動し、思わず落涙しそうになる。小学生の頃は大きなドジョウをバケツ一杯にして持ち帰り、夕餉の食卓によく並んでいたものだ。ドジョウ独特のあの味、懐かしいな。そしてドジョウと一緒に捕まえた生き物がもう1種類いた。それがこの子たち。

この生き物がおわかりになる人はいるだろうか?一見するとイモリの子どものようにも見えるけど、実は違うんだよね。勘のいい人は既にピンと来ているかもしれないが、この子たちはトウホクサンショウウオの子ども。3匹ともまだ少しえらが残っていたから、ちょうど大人の階段を上っている最中だ。
小学生の頃は、表面がざらざらした紐のような長い卵塊ごと採取して、大量に繁殖させたこともあったっけ。あの頃僕が兄弟と育てたトウホクサンショウウオたちの子孫が、こうやって連綿と命を繋ぎ続けていると思うと、言葉にできない感情が胸の底から込み上げてくる。このまま元気に大きく育ってくれよな。30分ほどガサガサをしたところでタイムアップ。こんなにたくさんの生き物たちと再会できたのって嬉しいよ。
こうやって自然と触れ合うたびに思うことがある。自分たち大人には、こんなに美しくて貴重な自然を守り続け、未来の子どもたちに伝える責任がある。それが自分の子どもであれ、他人の子どもであれ、「自然の尊さ・面白さ・不思議さ」を後世に伝えていけるように邁進していきたい。
田舎のなつやすみ












長いようで短かかった、社会人の夏休み。目まぐるしく流れていく日々の喧噪から、ほんの束の間だけ遠ざかる逃避行。全身全霊で夏を感じられ、すっかり忘れてしまった童心をちょっぴりだけ取り戻せた夏だった。
8月ももう後半。あれだけ照りつけていた太陽も落ち着き、すっかり涼しくなった。蝉の賑やかさも日がたつごとに落ち着き、夏の終わりを予感させる。今日だけは残り少ない夏の余韻を噛み締めながら、ちょっぴりだけセンチメンタルな気分に浸ろう。
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